トレッキングの準備セブ島みやげ

2019年01月28日

朝熊岳道を登る

朝目覚めるとうっすら白い物が屋根に残っている上に、風は吹き、陽が差し込まない生憎の天気です。気温を確認すれば3℃とくれば決行するか心が少し揺れます。

しかし今回の同行者は妻では無く社長です。

その社長ですが私の腕時計弟子でもあり、日頃から良好な関係構築はもちろん、双方自由闊達に意見を述べる間柄ですが、今回の決行判断は先方に委ねていました。

「自宅を今から出るので〇〇分後に待ち合わせ場所へ。」と連絡を受け、ならばと覚悟を決めました。風は変わらず吹いていますが、薄陽が差し込んできたのが救いでした。
12月に納車になったばかりのプラドを嬉しそうに運転し登山口まで向かいます。
プラド

約40分後に到着すると20台が駐車可能な第1駐車場は空きが無く、直ぐ近くの第2駐車場にかろうじて2台ほど空きがある状態でした。この時の時間が午前10時です。
駐車場満車


朝熊岳道

トレッキングとしては少し遅い目の出発ですが、これは社長が出発を午後1時30頃と提案したのを私が一蹴し、この時間に決定した経緯が有ります。私はもっと早い目の午前8時頃をと思っていたのですが、社長の方からそれでは午前9時30頃と言われ、まあそれで良いかと妥協したのでした。

軽くストレッチを行い、登山口の人数カウンターを押しまずは最終22町の町石目指して出発です。ちなみに前日の登山者は意外と多い305人でした。
朝熊岳道1

ここは超初心向けだけあって道は整備され、急勾配な場所はほとんどありません。しかも所々登山道が狭い位で大部分は広めです。
登り始め2町石か3町石付近の道。
登山道2


6町付近


5町石

朝熊山ケーブルカー跡に到着です。
かつて32度の急勾配箇所が東洋一と賞されたケーブルカーは、大正14年(1925)から営業していたもののやがて不要線とみなされ、昭和19年(1944)1月まで営業し、後にレールや架橋を供出したそうです。
ケーブルカー跡

保線用の階段が残され、上の方には見づらいですがトンネルが確認できます。
ケーブルカー跡2

中腹の10町にあるかつてのケーブルカー路線に掛かる橋からの眺め。ここを過ぎると13町と22町石以外見晴らせる場所がありません。全体的には木々の間山あいを歩くイメージです。
10町橋


中腹

途中道幅が狭い勾配の少しきつい岩場道が表れる場所が散見されますが、道中半分の付近でも道がこの様に整備されています。
木々に囲まれたり彫られた道はほぼ風の影響を受けず、また厚着の為か歩いていると汗が滲み始め、暑くなった私はフリースを脱ぎました。
登山道3

15町付近には、道の中央に目印としてそびえる写真スポット的な向こうが見える山桜の木があります。
大木

所々に点在する大木で作られた簡素なベンチでこまめに水分補給したり、度々着衣の調整をしてゆっくり登る事1時間30分後に朝熊岳道に終点22町石まで到達しました。
二十二町


見晴台眺め

ここは今見晴らし台が設置されていますが、かつては東風(とうふ屋)旅館が有った場所です。当然前方に遮る物は無くはるか遠くが見渡せますが風も強烈に吹きます。
かつて興隆を極めた旅館は火事で焼失したそうです。その強く吹く風のせいで火の回りは早く、合わせて水道が不便なこの場所においての消火活動は下界ほど期待できなかったでしょう。
旅館跡

東風旅館跡としてプレートが置かれていました。
東風屋あと

風があたらない場所を探してコンビニで購入したおにぎりを食べます。風があたらないと言っても座ってじっと食べているを寒くなり、持参したダウンベストをジャケットの上から着用しました。
暑くなったら1枚脱ぐ、寒くなったら1枚羽織る「レイヤード」は登山やトレッキングの基本だそうです。
旅館跡2

町石は終わりですが、ここからさらに距離にして250mほど山頂へ向けて歩きます。うっすらですが積雪が見られます。
積雪朝熊

見晴らし台横にはケーブルカー朝熊山駅から山頂間の約1kmを、乗り合いバスが運行された名残のかつて未舗装だった道路をアスファルト舗装した部分があり、遠回りですがそちらを歩きます。勾配は有りますが足元がしっかりした坂道は楽です。
登山バス

朝熊山山頂に到着しました。ここには八大龍王社があります。
東方面にはかつて使用されていたUHF局跡と現在使用中のデジタル放送施設のTV電波塔が存在します。(私の地域のアンテナは全てこの方向を向いています。)
山頂1


TV電波塔1

山頂からさらに先へ進むと経塚、金剛證寺があり、まずは経塚へ行く事にしました。途中まで同じ様にアスファルト舗装道ですから足への負担は最小限で済みます。
朝熊案内


山頂案内

10分少々で国指定史跡朝熊山経塚群に到着しました。規模は小さいですが、私が一番感動した光景でした。
経塚あ

経塚は、功徳を積むため作善行為として亡き夫の往生を願い経典を土中に埋経したもので、平安時代中期から始まったとされています。
明治時代に承安3年(1173)の経筒が出土した事で知れ渡り、昭和34年の伊勢湾台風による倒木被害を契機にで本格調査が開始され、平治元年(1159)8月15日付の紙本経13本が経筒の中に収められたまま出土されました。
経塚2

860年も以前の平安時代に造られた経塚を目の前にして気持ちの高揚が抑えられません。
経塚を立てた人物や理由はもちろんの事、作った職人はどの様にしてここまで運んだのか、運んだ後は読経などのお参りは誰が同行してどのようにしていたのか、次々と脳裏によぎります。
凄いの一言で片付けるにはあまりにも失礼極まりなく、これを機に経塚に付いて勉強してみたくなり、その当時の光景を少しでも想像できればと思いました。
現在は金剛證寺宝物館で出土された経筒などが閲覧出来ます。
経塚電波塔

社長が金剛證寺まで行きたがらずここ迄としましたが、次回はぜひとも金剛證寺の宝物館を閲覧するつもりです。

下山も同じ道を戻り、駐車場へ到着したのは午後2時過ぎの往復4時間少々を要しました。既に駐車場は数台の車がのみでした。この時点での登山者数は83人でした。

最初に社長が提案していた午後1時30分を実行していたなら昼休憩を除いたとしても戻り時間は5時を越えにはなっていたと思うと苦笑いするしかありません。
その後自宅に帰宅したのは午後2時40分頃ぎ、冷えた体を温めるべく湯船につかり一息付きました。

汗をかいた事で風邪を引き発熱を心配しましたが大丈夫でした。
フィットネスジムにて1時間の筋トレと30分、約2.8kmのウォーキングを行った後の翌日のトレッキングでもっと体がバリバリと張ると思いましたが、太ももの軽い筋肉痛で収まっています。また初めて降ろした靴でしたが豆や靴擦れは皆無です。

超初心者向けのトレッキングであっても侮らず、こまめな着脱による体温調節が容易になるレイヤード、足裏への衝撃が緩和される専用シューズ、グラブやイヤーマフなどのアクセサリーなど十分な準備を行う事で下山後のコンディションが随分楽になります。

下界が一望できる景色、山頂や金剛證寺まで多くの参拝客を運んだケーブルカーとその方達が宿泊した旅館跡、そして平安時代の経塚群など多くの見どころは登った者へのご褒美です。
次回は自分のペースでゆっくりと楽しみながら、再びご褒美に有り着きたいと思った朝熊山トレッキングでした。

長文の記事にもかかわらず最後までご覧下さりありがとうございました。


yoyaya2 at 20:57│Comments(0) 日常 

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